セクシャリティーについて

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学校で教えてくれない歴史

日本の同性愛の歴史

●日本史の中の性的多様性

最近、女装家や同性愛者の芸能人がよくデレビに出るようになったんですが、それで、同性愛者に対して社会が寛容に なったと思っていますか?もし、明治時代前の日本の社会は今よりはるかに同性愛が認められていたと言ったら信じますか?実際、「認められた」という言い方 はあまり相応しくないかもしれませんが、社会に溶け込んでいたと言った方がいいかもしれません。

仏教では、お坊さんが女性の体を触ることが許されないので、昔の中国ではお坊さんが稚児と性的関係を持つことが珍しくありませんでした。中国に留学して、 日本に戻ってきた空海は、日本で真言宗を創立したほか、同性同士の性的習慣も持ってきたと言われています(とは言っても、その以前に、同性愛は日本列島に なかったわけではありません)。そのような習慣は日本の仏教界でも珍しくなかったことが、今の時代まで残った様々な資料から分かります。代表的なのは、 「稚児之草子」という絵巻です。男性同士の性行為のシーンが、現代でいう「生々し」く、描かれています。

男性同士の性的関係は僧院内に限られていません。平安時代では、貴族の男は自分の妻の兄弟と男色(なんしょく)関 係を持つことが多かったと言われています。そのような習慣は証拠の資料によると、空海より古くからあったそうです。また、日本人ならだれもが知っている 「源氏物語」にも、男同士の関係と考えられるシーンもありました。それは、空蝉に断られた源氏が空蝉の弟のことを「いとらうたし(とても可愛い)」と言って、抱いて寝たというシーンですが、セックスしたとははきり書かれていないので、紫式部の本当の意図はどうか分かりません。

将軍と若い侍の間にも男色関係がありました。そのような関係は衆道(しゅどう)といいます。衆道は道徳や侍の勇気の起源だとも考えられていた。室町時代の15人の足利将軍の中で、尊氏を含む6人が男の愛人がいたと言われています。

以上のように、男性同士の恋愛・性的関係は美術作品や書き物に証拠として残っていますが、あいにく、女性同士のものはほとんどありません。

●歌舞伎 – 同性愛

歌 舞伎は日本独特の演劇で、その魅力は世界に知られています。しかし、歌舞伎はどうやって、現代の形に至ったのでしょう?まず、現代の歌舞伎の役者は男性だ けですが、実は女性の演じる歌舞伎もかつてありました。そのなも「女歌舞伎」です。しかし、遊女たちが営業の宣伝として、歌舞伎を使ったことから、 1629年に、女歌舞伎は禁止されました。これで、歌舞伎の役者は男にしかできない職業になりました。

女形役者、鳥居清経、絹絵
女形役者、鳥居清経、絹絵、18世紀
"Homosexuality and Civilization", Louis Crompton, 426ページ。

その時代に、前髪をまだ剃り落していない少年で演じられる「若衆歌舞伎」が流行していた。この少年の役者も、実は、売色をしていました。人気のある少年役者 を取り合い、客である侍たちが喧嘩したこともあったそうです。そのような騒ぎもあったため、1652年に、若衆歌舞伎も禁止されました。禁止される前、歌 舞伎の役者としての寿命は20歳前後でした。20歳をすぎると、魅力が失われてしまい、客を呼び込めなくなるからです。しかし、若衆歌舞伎が禁止された後 に、歌舞伎役者は皆、前髪をすでに切った大人の男であり、その歌舞伎も「野郎歌舞伎」といいます。若さと関係なく、役者として演じられることができるようになったので、歌舞伎の役者は生涯の職になりました。それによって、歌舞伎が全うな芸術となり、時代の流れとともに洗練され、今のような独特の美しさを 有する演劇となったのです。

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